弱き者と自覚するならば、敵の眼の前にとどまっていては不利である。講座3でそのように触れましたが、ここではより具体的に戦術に目を向け説明しましょう。 弱者は、機動力を活かした戦いをする。それは、古来の戦争から行われてきた、定番の戦術でした。 八卦掌は、宦官たる創始者が、宮中内で認められるために、弱者でも使用できる技術体系で編成し創り出した武術です。その内容は、とにかく「移動」することが大前提なのです。 敵の眼の間にとどまることが最も危険なことであるという原則のもと、「移動」の推進力を高い状態で維持し続けて戦うことを「生存」するための必須条件としました。 移動していれば、敵の的になりにくい。 移動していれば、止まって狙いを定めている、移動推進力のない敵に、勢いを利用した防御・電撃攻撃が可能となる。 敵に攻撃をして、そこから逃げる、のではありません。最初から斜め後方へと移動するのです。 なぜか?「敵に攻撃をして」のところで、ほぼ攻撃は成功しないからです。成功しなければ、失敗の直後、その場で力任せの攻撃に捕まり、勝敗が決してしまうのです。 「後ろに下がって、後ろから攻撃されたらどうする!」 後ろに下がらなかったら、敵の眼の前で、あっという間に事はすんでしまうでしょう。あっという間に制されるのです。 後ろに下がることで、敵は自分に追いつく、という作業をしなければならなくなります。前に出ながら攻撃する、という非常に不慣れな戦いを強いられるのです。私たちは、後方に下がることで、自分の土俵に、相手を引き込み、日頃行っている撤退戦にて、敵の攻撃をかわし続けるのです。 ここで戦史を一つ。 モンゴル騎兵軍団によるモンゴル帝国。13世紀、ユーラシア大陸を恐怖に陥れた怒涛の軍団。さぞや屈強な戦いを演じたかと思いきや、その戦い方の主流は、軽装備騎兵による偽装撤退による機動戦だったのです。 ポーランド連合軍との戦い・リーグニッツの戦いでは、重装のポーランド騎士騎兵の突撃に際し、散会した状態で偽装撤退をして後退旋回します。 ポーランド軍の追撃に対し、一目散に逃げるかと思いきや、軽装騎兵はポーランド連合軍を引きつけた状態のなかで、連合軍に向けて前方移動を止めないまま弓を後発射し、進撃を鈍らせ、陣形を乱します。去り打ち・撤退戦をしたのです。 動きが鈍くなって混乱するポーランド連合軍側面に、今度は、後方にて控えていたモンゴル重装騎兵が、猛然と突撃、接近するまでに威力の強い弓にて軍馬を殺傷し機動力を奪い、騎兵の突進力で蹂躙します。 古来より、アジアの軍団は、機動力を活かした戦いを重視してきました。鉄の装備で固め、前面衝突力の強いヨーロッパ・中央アジア勢との戦いに、同じ戦法で戦うのは損傷を招くと考えたのでしょう。中国兵法は、正面衝突よりも、偽装をふんだんに含んだ機動戦にて、勢いと戦力の集中で屈強な敵に勝機を見い出してきました。 成立当時の八卦掌は、この戦い方を地でいく武術でした。 単換掌の術理に基づく、数々の撤退戦去り打ち技術を習得し、強者・多人数敵に対し、持久力を合わせた機動力戦法で臨んできたのです。 『単換掌の術理|後退スライドで生存する清朝末式八卦掌の核心』|http://nenkinkouza.com/training/theory-tankanshou.html 護衛護身武術「清朝末式八卦掌」富山・愛知講習会|http://nenkinkouza.com/workshop/index.html 北陸富山本科の詳細|http://nenkinkouza.com/baguazhang-class-toyama/index.html 北陸富山本科申込みぺージ|https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLScbvl4IP1QozOJV783DSodPpIJYzFrEpS9-BhVah5cIxiTjAw/viewform 清朝末式八卦掌通信講座部|http://nenkinkouza.com/tuushinkouza/index.html
初心者向け清末八卦掌護身術講座4|弱者は、持久力... 富山 教室・スクール情報を見ている人は、こちらの記事も見ています。