⚫︎ 八極拳は、中国北派の伝統武術で400年の歴史があります。 見せかけだけの技が無く、数多ある拳法の中でも屈指の破壊力を誇ります。 私たちが学ぶ 神槍 李書文が伝えた、李氏八極拳は中国最後の皇帝、ラストエンペラーこと「愛新覚羅溥儀」や台湾の歴史的な用心を護ってきた歴史があり、護身術や肉体強化にも最適です。 また同じ李氏八極拳でも、李書文が学んだ中国系、李書文が実戦を積み重ね改変した武壇系(台湾)の2つに分類されており通常そのどちらかしか学んでいません。 我々、真功武舘は中国系、台湾系のその両方が伝承されているため、李書文の八極拳を余すことなく学ぶことができます。 これはおそらく世界でも他にないと認識しています。 ⚫︎本場、中国の練習方法を基本としています。 ゲームや漫画、映画などでも人気を博した八極拳を学べる他、劈掛掌、蟷螂拳、太極拳、易筋経、武器術なども指導いたします。 本格的に身に付けたい方はちろんですが、 今までスポーツや格闘技などを経験したことがなく、 痛いのが嫌、きついのが嫌と言う方でも、楽しく無理なく練習できるように、 一人ひとりに合った指導を行っています。 小学生からご年配の方までどなたでもご参加いただけます。 体験、見学ご希望の方など 詳しい情報は 下記カルチャーセンターホームページからご確認ください。 https://www.asahiculture.com/asahiculture/asp-webapp/web/WWebKozaShosaiNyuryoku.do?kozaId=8032818 ブログ http://bajiquan01.blog84.fc2.com/ 舘長 森本真功(モリモトマサノリ) 真功武舘 舘長 森本真功は3歳より空手家である父のもとで空手を習い始め、養秀会、禅心館、極真会で修練し、同時に柔道なども学んだ。 高等学校を卒業後、単身中国に渡り、中国北京体育大学で長拳など武術の基礎を学んだ。 その後、中国東北の長春にて、長春八極拳長老の一人である斉徳昭老師の門下に入門と同時に長春中医学院に入学する(98年針骨系卒業)。後に斉老師に認められ、弟子となり、数々の奥技を習得し、その全伝を修めた。 2013年4月29日吉時、台湾大東山八極門蘇昱彰師父に拜師し、台湾、中国、スペイン日本などで指導、鍛錬を行いながら現在に至る。 教練 田村 淳(タムラマコト) 学生時代より独学で八極拳を練習。その後、朝日カルチャー講座で森本舘長から八極拳を8年間学んだ後、平成27年3月3日に拝師。朝日カルチャーなどで教練として指導を行うと同時に、台湾や様々なイベントに参加し八極拳の普及に努めている。 祖師 神槍 李書文 武術の郷と名高い滄州の貧しい農民の家に生まれた。生活苦のため劇団に入ったが、足に重傷を負い家に帰されることになった。故郷に戻った李書文少年は、武術を学ぶことを決心し、黄四海、張景星らより八極拳を学んだ。 小柄で痩身だったが、その体格・外見に似合わぬ怪力の持ち主だったと言われる。ある力自慢が李書文に力比べを申し込んだ際、李は長さ三尺の鉄棒を石壁に突き刺しこれを抜くよう言ったところ、男は半日にかけて棒と格闘するも終に抜く事は出来なかったという。 また得意技・猛虎硬爬山の鍛錬においては、重さ100kg以上もある石製のローラーを、2m余りの段差がある畑の上階へ投げ上げていたと伝えられる。 1925年には李景林将軍に招かれ、弟子の霍殿閣と共に部隊の武術教官に赴任するなど、中国各地でその高い実力を知られるようになると、滄州の一流派でしかなかった八極拳は、李書文の名声と共に有名になっていった。 晩年の李書文は子供好きで、子供たちに武術を教えた。近所の子供たちからは「把式爺爺(武術のお爺さん)」とあだ名されていた。 武術としては、動作の大きい見た目だけの技法は、花法套子(華やかだが実戦に使えない技・型)として認めず、招法に重きをおいた。このため、李書文の八極拳は質実剛健な風格で実戦的として知られた。 八極拳の伝承について、霍殿閣には書文が師から受け継いだものをありのまま伝え、劉雲樵には書文の長年の経験により纏めたものを伝えたとされる。李書文の八極拳は、李氏八極拳と呼ばれている。 真剣勝負に於いては負け知らずであったと言われ、その強さに関する様々なエピソードが残されている。山東省で「鉄頭王」と呼ばれた武術家との果し合いにおいては、「あなたは私を三回打って良い、その後に私が一度だけ打つ」と言い放ち、怒った鉄頭王が渾身の力で書文を三度打つもびくともせず、その後に書文が脳天に掌打を打ち込むと、相手の頭は胴に沈み即死したという。また北京にて行われたある武術家との試合では、決め技の前の牽制の突きだけで相手を打ち殺してしまい、逮捕されぬよう慌てて滄州へ帰ったと言われている。このように、殆どの対戦相手を牽制の一撃のみで倒したことから「二の打ち要らず、一つあれば事足りる」と謳われた。弟子にも「千招有るを怖れず、一招熟するを怖れよ(多くの技を身に付けるより、ひとつの優れた技を極めよ)」と説いている。八極拳の槍術・六合大槍も得意とし、燕京にて槍術の名人をことごとく倒し「神槍」とよばれ、壁に止まっていた蠅を壁を傷つけることなく全て槍で突き落としたという逸話も残されている。 1934年6月、天津にて逝去、享年70。
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