発展途上国と言われる国には、経済的な貧困、人身売買、文化・伝統の侵食、初等教育不足、差別や偏見など、多くの問題にさらされています。そのような問題に対して目を向け理解する、または、物理的に支援をするために、世の中にはスタディーツアーや、長期ボランティアは数多く存在します。発展途上の村で、地域活性のお手伝いとして、日本の農業技術を教えたり、いろんな事情で孤児院で生活している子供に対してのボランティアもあります。他には、現地で日本語や勉強を教えるボランティアがあります。いろんな方面から、国際協力や国際理解を深める事ができる世の中になってきたと思います。しかし…一向に世界が良くならないのはなんでだろう?そう思う人、私以外にいるのではないでしょうか?例えば日本では多くの学生たちやNPO法人が、世界の貧しい人、困っている人のために動いているのに、貧困が減らないのはなんでだろう?そんなふうに疑問に思った事はありませんか?そう真剣に考えた事があるあなたにこそ、知ってほしい内容があります。それは、いくら現地でお手伝いをしても、それはいっときの助けにしかならないこと。要は、本質的な援助にはならないと言う事です。 【本質的な援助とはなにか?】それは多くの国、多くの人類が自分自身を変えていくことに意味があります。どういうことかというと、変わる努力をそれぞれがすること。そして支援する側は、物質的なもの、技術・ノウハウ以上に、何が起きても動じない心の作り方と、どんな局面でも対処できるほどの智慧の付け方を伝えることが一番ではないかと考えます。ここで学ぶことは、愛に繋がります。愛とは見返りがないこと。見返りのない、本当の愛を世界のすべての人が持つことができれば…そんなに時間もかからず世界は変わると思います。【体験談】私はフィリピンに行ったとき、ある孤児院で、心や体に傷を負った子供たちを少しでも元気づける、勇気を与えるために、ボランティアに参加しました。現地では、子供たちと会話したり、遊んだり、勉強したり、歌を歌ったり…時には子供たちが学校に行っている間に、もっと楽しく生活できるように、バスケットボールのゴールをサプライズで作ってあげたりしました。子供たちやスタッフの方々には喜んでもらいました。その時はこれで良かったと思ったのですが、日本に帰って私はここで疑問を感じました。私たちは日本で経験出来ない事を経験させてもらい、良かったと思うが、子供たちやスタッフの方々は、本当にこれで良かったのだろうか。これでは、継続的に支援にはならないんじゃないか、、そう思ったとき、自分だけいい思いをして私はズルい人間なんじゃないか、継続的支援って到底無理なんじゃないか、世界って変えられないんじゃないか、とマイナスな事ばかり考えていました。でも、ここに出会い現地に行くことだけが支援ではないことを学び、外の状況を変えるより、まずは自分が何にでも対処できる精神と智慧を身につけることに意味があると思いました。そして、みんながそのように変われば、世界はあっという間に良くなるのではないか、と思いました。
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