見返し部分に前所有者名の押印があります。(写真③) 『友情・愛と死』 武者小路実篤:著 旺文社文庫 昭和46年 重版 縦:15cm 横:10.5cm 厚さ:1.2cm (他一編)小さき世界 紙ケース付き フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より 『友情』は、武者小路実篤による初期の小説。1919年10月16日から12月11日に『大阪毎日新聞』に掲載されたのが初出で、1920年4月には以文社より単行本が刊行された。本作執筆当時作者は、すでにいくつかの小説および戯曲によって文壇に確固たる地位を得ており、その一方で建設が進んでいた新しき村に移り住み、そこで執筆を行っていた。1920年に単行本が重版されたのに伴って作者は「この小説は実は新しき村の若い人たちが今後、結婚したり失恋したりすると思うので両方を祝したく、また力を与えたく思ってかき出した」と述べている。 新進脚本家の野島は、作家の大宮と尊敬しあい、仕事に磨きをかけている。大宮の方が先に評価を得ていたが、大宮はいつも野島を尊敬し、勇気づけてくれる。ある日、野島は友人の仲田の妹・杉子に恋をする。かたい友情で結ばれた大宮に包み隠さず打ち明けると、やはり大宮は親身になってくれた。野島が杉子会いたさに仲田の家へ大宮と連れだって行くと、杉子はいつでも自分たちに無邪気な笑顔を向けてくる。野島は、杉子に大切にされている感覚を覚えた。しかし、大宮は杉子にはいつも冷淡だった。突然、大宮が「ヨーロッパに旅立つ」と野島に告げる。野島は友人と別れる寂しさと杉子を一人占めできる安心感とに悩む。それ以来、杉子とはあまり遊ばなくなる。野島は大宮が西洋へ旅立って約1年後、思い切って杉子へプロポーズをしたが、断られた。さらに1年程後、杉子は突如ヨーロッパへ旅立ち、その後、大宮から野島へ一通のへんな手紙が届く。そこには「自分の書いた小説を見てくれればわかる」とあった。その小説は、杉子が大宮へ抱き続けていた恋心と、大宮の思いを明かす内容だった。それを読んだ野島は、大宮に贈られ大事にしていたベートーヴェンのデスマスクを叩き割り、大宮に決別と「仕事の上で決闘しよう」と返事を書く。「神よ、救ってくれ。」 『愛と死』は、武者小路実篤が1939年(昭和14年)に『日本評論』に発表した長編小説である。のちに映画化・テレビドラマ化された。 小説家の端くれである村岡は、尊敬する小説家であり、友人となった野々村の元へ訪問するようになる。そこで野々村の妹である夏子と知り合う。ある時、野々村の誕生日会の余興の席で夏子に窮地を救われてから、2人の関係が始まる。文芸会の出し物や手紙のやり取りで距離を縮めていき、最終的に村岡の巴里への洋行後に結婚をするまでの仲になる。半年間の洋行の間でも互いに手紙を書き、帰国後の夫婦としての生活に希望を抱いていたが、帰国する船の中で、電報によって夏子の急死が知らされる。帰国後、深い悲しみを負いながら野々村との墓参り、帰国の歓迎会で村岡は「死んだものは生きている者に対して、大いなる力を持つが、生きているものは死んでいる者に対して無力である」という無常を悟る。21年の時を経てもその考えは彼にとっての慰めとなっている。 ※複数の購入を検討いただける場合、配送料が変わる可能性がございます。お気軽にお問い合わせください。
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