今まで生きてきて、「自分のやっていることは本当に自分の幸せなのかな?」と思ったことはありませんか?「自分は何のために生きているんだろうか?」「今やっていることに意味はあるんだろうか?」「何をすれば価値のある人生を送れて、幸せを感じられるのだろうか?」「何をすれば満たされるんだろう?」私たち人間は皆例外なく、幸せになるために人生を生きています。これは世界中どの人間もそう願っているはずです。しかし、幸せになりたくてこのような質問を誰かに問いかけてみても、私たちは皆それぞれ生まれる国が異なり、文化が異なり、たとえ身近な人でも親が異なり、考え方が異なり、幸せの定義も異なります。答えを教えられる人なんて親や友人はもちろん、世界中どこにもいるはずがありません。そのような状況を的確に表現した言葉があります。「人間は自由の刑に処せられている」これはフランスの実存主義の哲学者サルトルという人の言葉ですが、サルトル曰く、「人間がどのように生きるかはまったく自由である。しかし、 誰も頼りにせずに自分で物事を選択し、決定しなければならないので、人間は孤独である。不安にさいなまれる。また、自由であるがゆえに、人間は自分のなすこと一切に責任があることになる。その意味で、自由は、人間にとってかえって重荷と言わざるをえない。」・・・「自由」の中に放り出され右も左もわからなくても、私たちは生きてしまっているので何も決断しないわけにはいきません。そうすると、失敗や間違いにおびえながら、無理矢理えいやと一つ決断して選ぶしかありません。しかしその選んだものが正しい保証はどこにもないのです。一度しかない人生をどんでもない目にあってしまったり、棒に振ってしまうかもしれない。もちろん選ばないという選択肢もあるかもしれませんが、その選ばない選択が正しいかもわからない・・・正に数年前、自分もそのような状態にいました。学校をそれとなく卒業してモラトリアムが終わり、自分なりの答えも何も無いまま社会に放り出された私はレールを外された気持ちになって大いに人生に迷っており、資格勉強をしてみたり、留学しようとしてみたり、旅行をしまくっていろんな場所と人を見たり、あるいは全力で恋愛してみたり・・・ずっとあがいていましたが、自分の人生を満たしてくれるものは見つかりませんでした。そんな時に、始めに仏教哲学に出会いました。初めはどんなものかも知らなかったのですが、幸せに生きることのために物事を徹底的に考え抜いて追及するこの学問の中には、正に求めていた答えになりうるような考え方や言葉が多くあり、人生に迷っていた私にぴったりだったのです。ちまたの受験勉強では社会に出たら役に立たない学問だと軽視されているものが、「人生においては最も実用的なのではないか」と思えてからはさらに学ぶことが楽しくなりました。過去の哲人たちの考え方や言葉を学んで、思索し、取り入れる・・・こうすることで哲学は自分を成長させてくれる。まだまだ未熟な自分ですが、こうすることは本当に自分の幸せになると思えています。この哲学の面白さを多くの人に知ってもらいたい、広めたい!という思いから、このサークルを立ち上げました。過去の自分と同じように人生に疑問を持っていた人や、教養として学びたい人、単純に話を聞くことが楽しい人が集まってわいわい活動しています。あなたも、始めは私のように何も知らなくても好奇心で構いません。自分の人生や幸せについて疑問があるのなら、一度哲学を学んでみませんか?
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