31歳の女です先日、大好きな祖父が他界しましたそれからというもの基本的に何も手がつかない状態で、とてつもない喪失感に襲われています亡くなった日はあまり実感がなくてまだ元気なほうでしたが、葬儀当日、棺桶に入れられた微塵も動かない祖父を見ると、本当に亡くなってしまったんだという現実を突きつけられたようでしたそこからずっと塞ぎ込んでいる状況です↓↓↓ここからは長いので、読みたい方だけ読んでください。本題部分は一番下までスクロールしてもらえればいいです。↓↓↓↓私は小さい頃あまり家庭環境がよくなく、そんな中で祖父だけが心の救いでありましたどこかウマが合うといいますか祖父はとても私のことを可愛がってくれ、何かと世話を焼いてもらいましたし、いろいろなところへ連れていってもらいました私の中で父親のようなものであり、初恋のような感覚の人であったのかもしれません。祖父も「俺はお前の父親みたいなもんだからな」とよく言っていました学生の時までは長期休暇などは毎回泊まりにいき、それ以外にも会うことはちょろちょろありましたが私が学校を卒業し、結婚してから会うこともなくなりましたその結婚も半ば駆け落ちのようなものだったので、ある意味裏切りといいますか母親と極限に仲が悪い時代で、もう母親の家系とは連絡を取らない!と思っていました心の中では祖父のことは心配でしたが、その時はそんな心境でしたでも4年ほどして落ち着いた頃に、顔合わせしたいと祖父側からの要望がありそこからは少し仲が戻った感じです(ほんの少し)その数年後に祖母が倒れました。夫と一緒に向かい、GW中だったのでできる限り祖父の面倒を見て傍にいてあげましたそこで絆がぐっと深まりましたそこからちょろちょろ会うこともありましたが、コロナが始まり祖母は私たちがくることをあまり望んでいないようで、家にも行きにくくなり、苦しい日々が続きますいつしかもう諦めて、生きてくれているだけで嬉しいというような心境に至り、心のどこかでまだ生きてくれるだろうという甘えが生じていました電話も照れくさいだとか、何を話せばいいかわからないと思ってしない日々そして今年の3月末、祖父がある事情で病院に運ばれました(病気ではない)聞いた瞬間、すぐ病院に駆けつけようと思うもHPの文言にはコロナで面会禁止。その時は断念しました。一応入院したままだけど身体的には回復していると母親から聞いていたので、退院してから、GWに会いにいこうとその時決心したのです予定は5/2か3日からにしようとスケジュールも決めそして久し振りに会えることを楽しみにしていたのですが、5/1の早朝、遠くの病院から電話がかかってきました祖父の住んでいる地域の救急病院からです早朝なもので母親に電話が繋がらず、緊急連絡先として書かれていた私のところにかけてきたようでした祖父がかなり危ない状態だとそのまま地元へ直行しましたその日は移動だけで終わって、翌日、病院に無理を言って面会をお願いしました10分だけの面会そこにはとても苦しそうにしている祖父の姿がありましたとりあえず長くなりすぎたので、もうここら辺で一旦文章切りますがその約1週間後、祖父は旅立ちました。なんで会おうとしてた1日前にそんなことになるんだと。それならもっと早く行っておくんだったと今では後悔でしかなりません。長くなってしまいましたが、皆様は身近な大事な方が亡くなった際、どのようにして悲しみを乗り越えられましたか?いろいろお話をお聞きしたいです私は葬儀に参加したのも今回が初めてで、よりショックを受けている節はあると思います(父方の祖父母はもう亡くなっていますが、縁も薄く、亡くなったことを知ったのは後のことだったので実感が薄いのです)葬儀が終わってからずっと祖父のことを考える日々で、切なくて切なくて仕方ありません。ただこんな状態が続くことは、祖父自身も望んでいないだろうし、でも悲しいし、自分でもどうすればいいのかわかりません。時間が解決してくれるのでしょうか。
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