裏表紙カバーに3mm程度の破れがあります。(写真③) 40年以上前の発刊です。全体的にくすみがあります。 『一日一禅(下)』 秋月龍珉:著 講談社現代新書 昭和55年 第4刷 縦:17.5cm 横:11cm 厚さ:1cm ほんものの禅の「覚」とはなにか。あまたの禅者、禅を志す人々がそれを追求してきた。『碧巌録』『無門関』はそのための最高のテキストである。本書は、この両書を中心に、不立文字の公案をあえて立文字化して、読者がはじめてその全容を知ることができるようにした。文字にとらわれず、体験的直観的に真理を把握し、「悟り了れば未だ悟らざるに同じ」と正念相続を説く禅道・禅学の真髄がここに見出せるだろう。本書で紙上参禅し、「覚」をわがものとして、より高い水準の禅体験への指針を示す、現代人のための必携の書である。 禅経験のプロセス 首山和尚の「竹篦背触」という公案につけた無門和尚の頌に対し、鈴木大拙は「竹篦は即ち竹篦に非ず、是のゆえに竹篦と名づく」という「即非の論理」を唱えた。「竹篦は竹篦でない」という否定は、体験的には自己も竹篦もない真空無相、本来無一物の無我の三昧境である。それがふしぎにその大死一番の禅定から一転して大活現成すると、「竹篦は竹篦である」という般若の自覚に出る。そこで、「否定が即肯定だ」(絶対矛盾の自己同一)というのが「即非の論理」である。青原惟信はいった、「老僧は、三十年前まだ禅に参じなかったときには、山を見れば山、水を見れば水であった。のち親しく禅匠に見えて一箇の見処に入って見ると、山を見れば山でなく、水を見れば水でなかった。それが今日、真の悟りに落ち着くと、なんとしたことぞ、もとのとおり山はただ山で、水はただ水であった」。これはまことに鮮かに禅経験のプロセスを道破したみごとな立言である。――本書より まえがき Ⅶ 不立文字 『碧巌録』の公案1 Ⅷ 教外別伝 『碧巌録』の公案2 Ⅸ 直指人心 『碧巌録』の公案3 Ⅹ 見性成仏 『碧巌録』の公案4 Ⅺ 大道無門 『無門関』の公案1 Ⅻ 千差有路 『無門関』の公案2 人名索引 事項索引
『一日一禅(下)』秋月龍珉 講談社現代新書 高知 中古あげます・譲りますを見ている人は、こちらの記事も見ています。