2021年10月NEW OPEN! オープニングスタッフ15名大募集! 福祉業界の未来より あなた自身の方が大事です。 なぜなら会社の寿命は10年と 言われているのに対し 人間の寿命は100年と 言われるようになったからです。 会社は守ってくれないのに あなたは生きなければなりません。 そして年金は今の若者には出ません。 ということは自分の力を磨く事が 必要な時代になったということです! 当社で自分で生き抜く力を 身につけてください! 今すぐ応募してください! と、言いたいところですが、 応募するかどうかは 以下をお読みになってから 決めてくださいね! こんなお困りごとありませんか? 未来がない会社5つの特徴 ・収益の事しか考えていない ・誰でもできる仕事だと会社が思っている ・従業員の事を大切にしない ・休みが少ない ・給料が上がらない みらいのたねで働くと得られる事 ・この度みらいのたね灘を 2021年10月にオープンします!! 利用者にとって過ごしやすく、 スタッフにとっても働きやすい。 今までの経験を活かしてそんな 施設を実現させます。収益を 追いかけてスタッフに負担を強いる 事はない施設になります。 ・当社は福祉業界未経験の方を 積極採用しています。だからといって 誰でもできる仕事だとは思っていません。 日々勉強だと思っています。あなたに しかできない仕事をして頂ける環境です。 ・パワハラ・モラハラ・セクハラが ないように人間関係には常に 気を配っています。もし、みんな 一緒のスタートがいいなと思われたら みらいのたね灘にご応募ください! 2021年10月オープンですので、 あなたと同期のメンバーに囲まれて 勤務することができます。 ・当社の勤務は最大でも 週3日勤務体制です。それ以上の 勤務はありません。週3日勤務で 月収19万円。週4日休みです。 自分の時間も十分に持てるのも この仕事の魅力です。 ・当社は今が成長期です。 会社立ち上げて3年で今回で4棟目 の新規オープンで、来年にも オープン予定があります。 これは収益だけを追求して拡大して いるわけではありません。 利用者様のご要望にお答えするため でもありますし、スタッフの給与を 上げるためでもあります。おそらく 今のタイミングで入社する方は 将来幹部になる方です。つまり 一番給与が上がりやすいタイミング が今ということです。 ・社員の声 前職の施設では60代夫婦が 経営する移設で働いていました。 毎日2時間以上の説教と所長の 自慢話に苦しんでいました。 それでも働かせて頂いてる だけでも有難いと思い、 3年間働いていたのですが、 精神的に病んでしまって離職。 みらいのたねに 転職してきました。 今まではなんだったんだろう というくらいに人間関係が 良好で一体感を感じる職場で 心からこの施設を選んで 良かったと思っています。 (Hさん) 時代にあった福祉施設のあり方が わかりました。 食事の用意などの家事だけ やれば良いという施設は 未だに多いのかなと思います。 社長の菊は創業当初から、 業界が今のままでは 終わってしまうと 危惧していました。 その時私は、そんなに心配しなくても と思ってたのですが時代がまさに 今、そうなっています。 流石の先見の明だと思います。 実は、当施設は猫の手も 借りたいぐらい、人が必要と いうわけではありません。 もし、そんな状況で募集していたら 新人を誰も教育できずほったらかしに なり、すぐ離職してしまうことを 菊はわかっているのです。 つまり人材募集も先手を打って 募集しているんですよね。 流石だなあと思います。 (Aさん) コロナ禍の中で社長の菊は言います。 「今はチャンスですよ。」 この人、頭おかしいと思いました笑。 周りにこんな事言ってる人いませんし ニコニコしてるこの人見て、 なんか大丈夫かもと安心しています。 結局、新しい価値を生み出せば仕事は 成り立つんだなと思います。 コロナ禍の今でも業績を伸ばす。 状況が変われば、会社の考え方を 変化させればいいんだということを 学ばせていただいてます。 (Uさん) 当社長 菊一美の紹介 今、現在私はみらいのたねという 障がい者グループホームを 六甲道に2件、住吉に1件 経営しています。 そしてこの度、2021年10月に 「みらいのたね灘」を オープンする事になりました。 利用者様は六甲道に2名と5名 住吉に4名、そして今回の灘が8名 合計19名の利用者様のサポートを させていただく事になりました。 対して現在のスタッフが20名 今回の施設は少し規模が大きく なりますので合計35名体制で 運営していく方針です。 会社を立ち上げて3年半でここまで 来ましたが、着実に成長させて 頂いています。 もし、これをお読みの人が、 今よりも成長したいとか、 何をやっても上手くいかないとか 何もやりたいことがないとか、 そういった事がもしあるとしたら 私の経験がもしかしたら参考に なるかもしれませんので、 ぜひ読み進めてみてください。 私は元々、新潟県出身で、 東京の大学卒業後、 法学部出身ということあり 司法書士を目指して いましたが、自分には 向いていないと気づき、 広告制作の会社に 仙台で就職しました。 制作部で5年ほど仕事をした後 フリーになりました。 そして仙台で結婚。 当時の夫と住んでいました。 夫婦で編集プロダクションの 経営を始め、主に私は コピーライティングや デザインの仕事をしていました。 しかし、夫婦関係が上手く いかずに1度目の離婚。 離婚後も私は編集プロダクションを 1人で続け、それなりの収入を 得ていました。 結婚生活は様々な問題があり 苦しかったのですが 離婚後の方が仕事が順調になったのです。 念願のマイホームを仙台で購入し 車も所有しており、女1人では ありましたが何不自由のない 生活をしていました。 そんなある日、全てを失う日が訪れます。 2011年3月11日 東日本大震災。 自分が築き上げたものが一瞬で 消えてしまいました。 仕事も家も。 私は幸い独り身でしたので 家族は失わずに済んだのですが それでも本当にショックで 被災した時は何がなんだか分からず ショックでパニック状態になりました。 しかし私はとても運が良かったのです。 そんなパニック状態を支えてくれる 人の存在です。 実は偶然にも前日の3月10日に 親しくしていた男性が仙台の私の家に 遊びに来ていたのです。 彼は長野県松本市の方なのですが なんと一緒に仙台で被災して しまったのです。 私の車はたまたま無事で、しかも ガソリンが満タンに入ってました。 私は彼と2人で、商売道具のMacだけ 車に乗せて仙台を出て彼の地元である 長野県松本市に身を寄せる事に なったのです。 私は先行きの見えない不安に 精神的に不安定になっていたのですが、 そんな私を彼は支えてくれたのです。 そして彼と私は結婚し子供を授かります。 その時なんと46歳です。 そしてそのタイミングで関西に 移住してきました。 私は今まで仕事仕事の人生でした。 そして被災で全てを失いました。 でも人生は不思議なものです。 私は今度は自分よりも愛せる存在である 子供を授かったのです。 私は仕事よりも今度はどっぷりと 子育てをすることにしたのです。 しかし、そんな幸せは長く続くことは ありませんでした。 家庭には色々な問題があり 2度目の離婚をします。 でも、私はそれほど落ち込む事は ありませんでした。 それは私はもう1人ではなかった からです。 そう、子供の存在でした。 とはいえ、これからどうしようか? 私は元来仕事が好きな人間です。 ビジネスを自分でやってきて 成果も上げてきました。 しかし、この頃すでに私は 50歳を超えています。 なかなか雇ってもらえる所も 見つからない。 では前職の編集プロダクションはどうか? 5年経った以前の仕事は 紙媒体からウェブに 移行している時期でした。 こんなに日進月歩で 進化する世界には 50歳を過ぎた私は とてもついていけないと 思ったのです。 いや、正確にはもう、その仕事に 魅力を感じていなかったの かもしれません。 私はITの進歩についていく事よりも 直接人に関わり社会に役立つことは ないか? そのように考えるようになりました。 そんな中、障がい者の方が行くところが ないと親御さんが困ってる事を知りました。 私は、子供を持つようになり そんな親御さんの気持ちを考えるように なりました。 親は通常、子より先に亡くなります。 自分が亡くなる時、自分の子供がもし 障がいを持っていたとしたら、 どんな気持ちになるか? 私はとても寂しくて心配で無念な 気持ちになるのではないか? そんな風に想像して しまったのです。 そして、障がい者 グループホームという 障がい者の方を 預けられる施設がある と言う事を知ります。 また、その数が全然足りて いないという現実を知ります。 神戸市では障がいを持つ10人のうち 1人しか受け入れ先がないとも 言われています。 重度の方は 優先的に受け入れて もらえますが、 グレーゾーンや軽い方は 自宅でなんとかするか 親戚を頼るかというのが 今の現状です。 あまり語られませんが 親戚やご兄弟にすごく負担が かかっているのではないか? そこに対して何かできないか? と私は思うに至りました。 これをやろう。 そう決断し全く知識も 経験もないところ からスタートしたのです。 この事業を起こし今で3年半経ちました。 やってみたら甘くありませんでした。 障害者には関係者がたくさんいます。 ケアマネさんとか役所 支援センター 就労先 作業所 デイサービス 関わる先がとても 多く勉強が必要でした。 軽く考えて働きに来られる方は 楽しさを見出せず辞めていきました。 ただのお手伝いさんみたいな お仕事と思われている方には 向かないお仕事です。 暴言を吐かれたり、 暴力を振るわれたり。 理不尽な気持ちになると いうこともありました。 それでも辞めないと私が思ったのは 諦めないと思ったからです。 私は今まで何度も人生で ピンチがありましたが 周りの人たちに助けられながら 乗り越えてきた事に 自信を持っていたのだと思います。 そうすると こんな声かけをすると変わるとか こちらの工夫によって 改善が見られるようになったのです。 保護者に対しても対応の工夫を 日々行なっていました。 日々の積み重ねにより 自分の問題解決力が上がって 言ったのです。 不思議な事に 職員さんもだんだん良い人が 入ってくるようになったのです。 きっと軽く考えて入って来られる方は 私が軽く考えていたからなんだと 気づきました。 私が日々勉強して、成長すれば 日々勉強して成長したい人が 入ってくるようになったのです。 今現場はとても順調に運営できています。 それは、職員の皆さんが お金以外でこの仕事の中に喜びや 成長を感じる事ができる人 ばかりだからだと思います。 この仕事の難しさは 障がい者の方の場合 成長しないかもしれない。 衰えるばかりかもしれない。 このように職員が思ってしまう事です。 「こんなに言ってもダメなんだ。」 「なんでこんなことしなくちゃ いけないんだ。」 辞めた職員さんの中には こんな人もいたと思います。 でも、ずーっと続いていく中で 利用者さんにも喜びがあります。 ちょっとしたことで 利用者さんが達成するというよりも 自尊心が満ちる瞬間があるのです。 きっとそんな時にスタッフも 職員もお互い「生きてる」事を 共有できるのだと思います。 利用者さんは今まで怒られて ばかりの人が多いのですが、 そんな時、自分を認める力が 小さくなります。 行動障害がそんなところから 起こることもあります。 褒めるところはしっかり褒める。 これはどんな人でも同じかなと 思いますが、やはり人を支えられる のは人でしかないという事が わかります。 そして都会で生きて来た利用者さん の多くは、田舎では住みたくない と思っています。 社会との接点がある場所で 生活してもらえることは 社会的な貢献につながり 今の職員の皆さんは そういったところにも やりがいを感じています。 決してお金を稼ぐ目的だけでは つとまらないお仕事です。 逆に自分が成長することに 貪欲な人には向いてるお仕事です。 人への観察力が磨かれます。 人に対するスタンスが 期待するわけではなく信じる という風になっていきます。 利用者さんは究極に自分の損得に忠実です。 人への配慮がない 社会性がない 好き嫌いが激しい 自分自身を認めてくれる人の ことが好き 忖度がない そんな利用者さんと渡り合える 職員の皆さんを私はとても尊敬しています。 ある意味利用者さんも 職員も才能の塊なんだなと 私は思います。 人と人が意思疎通する コミュニケーション力が とんでもなく身につく職場です。 会社経営 接客 コーチング マネジメント マーケティング 営業 恋愛 人間関係 講師 自営業 等に強くなる要素がとても たくさんあるなと最近思います。 私はこれからのみらいのたねを 強い福祉事業体にしたいと思っています。 具体的には強度行動障害の人も きちんと受け入れられる施設を 作る事です。 施設に隔離するのが今までの時代でした。 これからは隔離から少しづつ共存という 流れになっていくと私は思っています。 そうなっていくためには知識や 具体的な計画が必要です。 そしてそれをみんなで共有して、 支援していくことが必要です。 いいチームを作っていきたいと 思っています。 この1年の間にさらに女子棟を もう一棟増やす予定です。 理由は要望が多いからです。 「家を出たいけど受け入れ先がない。」 利用者さんにとっても 職員さんにとっても良くあるためには 結局施設を増やしていかないと 皆さんのお給料もあげていけませんし 利用者さんの要望にも応えられません。 私の目標は職員さんを専門職として ステータスと収入を上げる事です。 優しい気持ちでみんなのお家だねー って言ってるだけでは 福祉事業体としてのレベルが 上がっていきません。 そして私は自分の力で、 なんでもできると いうことを自分の子供に伝え ていきたいと思っています。 私は娘がいたからここまで頑張れました。 私は自分の才能でグイグイ 引っ張るいわゆるワンマンタイプの 社長ではありません。 私の目指すところは 「才能が集まってくる社長」です。 場を作るのが上手であることを 常に意識して行動しています。 そのために職員さん達の 話を良く聴くことが 今の私の主な仕事です。 とはいえ、私もまだまだ 成長途中です。 一緒に成長したいと 思う人に来てほしいと思っています。 これをお読みのあなたは、もしかしたら今 何か苦しさや悔しさを感じている時かも しれませんし、目標に向かって走ってる 時かもしれません。 あなたとご縁があれば嬉しいですが、 もし当社に応募しても、しなくても あなたにとって一つでも気づきであったり、 良いきっかけになる事を祈ってます。 私は一生に一度の人生を悔いなく 生きていきます。 それでは、あなたとお会いできる日を 祈っています。 有限会社エイト 代表取締役 菊一美 こんな人におすすめです ・どんな福祉施設も任せてもらえる プロフェッショナルになりたい。 ・家族との時間も大切にしたい。 ・この激動の時代に会社に依存せずに すむ実力を身につけたい ・ただのパートだろって期待されない 職場では働きたくない ・自分の市場価値を上げてどこでも 就職できる実力を身につけたい ・尊敬できる上司の下で働きたい 【職種名】 未経験者歓迎!障害者グループホームの生活支援員 【仕事内容】 仕事の内容は、夕食の盛り付け・提供、就寝の確認と 夜間の巡視、共用部分の清掃、簡単な朝食づくり、 利用者様の起床や身支度、自室清掃などの声かけや手伝い、 仕事や作業所への送り出し、記録の記入などです。 食事、トイレ、洗顔などご自身でできる方が ほとんどなので「きつい、汚い」という要素は少なく、 肉体的にも負担の少ない仕事です。 求める人材: ダブルワークの方、歓迎。福祉業界未経験、 飲食業やサービス業からの方も活躍されています。 子育て経験のある方、 障害をお持ちの方への偏見や先入観のない方、、 仕事を通して社会貢献したい方、歓迎します。 年齢や学歴は関係なく、人柄重視です。 【募集人数・募集背景】 利用者様8名のグループホームです。 利用者様が将来地域社会でよりスムーズに 暮らしていくことができるよう、 社会性を身につけ暮らしの中で お一人でできることが増えるように支援します。 今回2名を募集します。 勤務時間・曜日: シフト制 16:00〜翌10:00 実働14時間 仮眠休憩あり 週1日からok 休暇・休日: シフトによる 勤務地: 2021年10月OPEN! オープニングスタッフ大募集! みらいのたね灘 灘区岩屋北町7-1-10 【アクセス】 灘駅(JR在来線)徒歩2分 岩屋(兵庫県)駅(阪神電気鉄道)徒歩3分 王子公園駅(阪急電鉄)徒歩9分 7月〜9月までは 以下の既存施設で研修 勤務を行います。 もちろん、給与も支給されます。 みらいのたね住吉 兵庫県神戸市東灘区住吉東町1-3-11 最寄り駅:阪神魚崎駅 JR住吉駅 【アクセス】 阪神魚崎駅より徒歩5分 JR住吉駅より徒歩12分 みらいのたね六甲道 兵庫県神戸市灘区友田町3-3-14 最寄り駅:阪神新在家駅 JR六甲道駅 【アクセス】 阪神新在家駅より徒歩2分 JR六甲道駅より徒歩8分 阪急六甲駅より徒歩15分 待遇・福利厚生: 【休日休暇】 シフトによる 【福利厚生】 雇用保険 交通費支給あり 社会保険加入は法定通り その他: 最後までお読みいただき、 ありがとうございました。 内容に興味を持たれた方は、ぜひご応募下さい。 ご応募はWEBから可能です。 「応募する」ボタンより24h受付中です。 追ってこちらからご連絡いたします。 スマホでラクラク!web面談実施中! お仕事の合間でも、お仕事帰りでも カフェでも、自宅でも面談できますよ! 一次面接はZOOMにて 実施させていただきます。 ウェブ面接 15分 ↓ 現地面接 ↓ 採用 施設名 みらいのたね灘 事業内容 知的・精神障害者の方の自立を支援するためのグループホーム 雇用形態: アルバイト・パート 給与: 15,000円 - 17,000円 日給
雇用形態 | |
業種 | その他 |
給与 | 日給15,000円 |
地域 | |
勤務地 | 灘区岩屋北町 |
交通 | 灘駅(JR在来線)徒歩2分 岩屋(兵庫県)駅(阪神電気鉄道)徒歩3分 王子公園駅(阪急電鉄)徒歩9分 |
勤務時間 | 16:00〜翌10:00 実働14時間 仮眠休憩あり 週1日からok |
社名/店名 | みらいのたね灘 |
左の記事に問題がある場合、該当する項目を
選択し詳細を記入してください。
※通報していただいた内容への返答は出来ません。
2021年10月NEW OPEN! オープニング... 兵庫 アルバイト・バイト・パートの求人募集情報を見ている人は、こちらの記事も見ています。