「溺れる者は藁をも掴む」と、人は言う。 だから私は、溺れかけている者の前に、藁を差し出してみた。 すると、どうだろう? ・藁を藁だと気づかぬ者・藁を掴むことを恐れる者・藁を掴む力のない者 運命の分岐路に立たされてもなお、多くの人は、その人の持つ・堕落と怠慢の習慣・固定観念、洗脳教育 そのようなものに流されて、溺れる道を選んでしまうのだ。 なんということだろう。 力なき者が、堕落の路に落ちていく一方で、私が山の頂きにいるのを見て、「人というのは、そこに行けるものなんだな」と、自力で山の上に這い上がろうとする者もいる。 人々を眺めながら、どこに導くのが正しき路なのかと、私は世を憂う。 山の頂きを見届けた今、私はこの世の果てを知りたくなった。 そこに行けるのは、おそらく、藁を掴み、自らの運命を切り拓ける者だけなのだ。 アセンション・プリーズ。「藁を掴める者」を募集。男女は問わない。 この言葉が、「藁」である。
お問い合わせの受付は 終了いたしました。
コメントは公開されます。
短いコメントはご覧になった他のユーザー様が不快に感じることがあります。
登録した条件で投稿があった場合、メールでお知らせします。
利用規約 をご確認の上、登録をお願いします。