まだ私が幼い頃の話です。私はとある田舎の山奥で育ちました。イモリの父とヤモリの母に育てられた私はわりかしスクスクと育ち、5歳の時には「きれいな押印の仕方」を覚えるほどでした。住んでいる場所が場所なだけに、所謂文明の利器の類いは一切なく、洗濯も川で手洗い。テレビもラジオまないもないので、たまに来る登山客の話を盗み聞きして情報を得ていました。ある時に「山瀬まみ」という言葉を聞いた私は、何故だかえらい興奮を覚え頭の中で作り上げた「山瀬まみ」を、そのまま木彫りの人形に投影し、「オリジナル山瀬まみ」をこの世に誕生させました。父と母はそんな私を蔑んだ目で見てきましたが、如何せんイモリとヤモリなので表情がつかめません。とりあえず明石家さんまっぽい笑い方でお茶を濁していると、ちょっと怒り気味にヤモリ(実母)から「現実から目を背けるな。」と辛辣な言葉を浴びせられたのです。さてどうしたもんかと怒り心頭の私は、「オリジナル山瀬まみ」を小脇に抱え山を降りるとすぐさま近くの公民館に「JAROに電話させろ」と怒鳴り込みました。いきなり怒鳴り込んできた得体の知れない男より、小脇に抱えている得体の知れない物体に恐れおののいたスタッフたちが大慌てで私を取り抑え、小脇から物体を奪取。「いい仕事してますねぇ」と山瀬の首をへし折り、私に投げつけてきやがりました。後の「中島誠之助」の誕生である。自然科学について話し合いましょう。私は、嫌です。
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