「忠臣蔵」といえば、赤穂浪士の討ち入り。人形浄瑠璃、歌舞伎など、現代でもテレビや映画でお馴染み、皆さんもよくご存知ですね。では視点を変えて、尾張から見た忠臣蔵はいかがでしょうか?四十七士の中には尾張家との繋がりがあった武士も多く、朝日文左衛門の『…籠中記』や近松茂矩の『昔咄』などに尾張家の人たちが風聞に気を使いながら対応した様子が記されています。片岡源五右衛門の実家・熊井家や親戚の中根家、不破数右衛門の孫は尾張家に仕えていました。大石内蔵助一族、堀部安兵衛も尾張家と何らかの関わりがありました。今回は赤穂浪士と関わりのある尾張家の家臣達がこの事件にどう対応したかを紐解きます。お話は、名古屋の歴史に詳しい伊藤喜雄さんです。お話:伊藤喜雄(NPO法人橦木倶楽部相談役、なごや歴史ナビの会、教育サポートネットワーク生涯学習ボランティア)申し込みはこちら https://www.kokuchpro.com/event/fcb351a406c4a68e2d7c3cd39ad812a1/
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