ジモティートップ  >  youさんのプロフィール

youさんのプロフィール

プロフィール画像

自己紹介文が入力されていません。


もっと見る


ニックネーム
you

認証
身分証2点 電話番号 法人書類

評価
1 0 0

性別
男性

登録日時
2018/02/28

居住区
未登録

職業
未登録



投稿一覧 投稿一覧
評価一覧 評価一覧
売ります

甲斐仁代(カイヒトヨ) 絵画レプリカ 静物(皿にのった果物) 新品未使用品 ギャラリー甲斐仁代制作

4,800円 流山市 鰭ケ崎
甲斐仁代 静物(皿にのった果物) レプリカ ギャラリー甲斐仁代制作 新品未使用品 25000円で販売されていたものです。 作品サイズ 22cm×15cm 額サイズ 30.5cm×30.5cm×3cm 作品は終始純粋な芸術観に貫かれ、豊潤な色彩感覚とデリケートで風格ある画面が特徴的です。 甲斐仁代とは 1902年佐賀で生まれ、1963年(昭和38年)7月28日に61歳の若さで永眠。 最後の最後まで、作品を制作するため病室に画材セットを持ち込んだが病魔には打ち勝てず、無念な最期であった。 大正11年女子美術学校西洋画科を卒業して翌年二科会に初入選した。以後二科会には毎年出品をつづけ、また婦人洋画協会の創立に参加するなど活躍した。岡田三郎助の教えを受け、牧野虎雄の旺玄社に属するなどの時期もあったが、後一水会に出品し戦後会員に推された。 日本洋画界において女流画家の地位向上に尽力し、婦人画家協会の創設(後の女流画家協会)にも関わった。 東京・練馬のアトリエに多くの作品を遺して逝き、友人・親友・支援者でもある石橋正二郎・冨久ご夫妻(ブリヂストン創業者)のお力で、甲斐仁代の遺作展を開催しました。 1963年(昭和38年)9月 一水会展にて遺作特別陳列 1964年(昭和39年)6月 女流画家協会展にて遺作特別陳列 1964年(昭和39年)10月1日-7日 日動サロンにて第一回甲斐仁代遺作展開催 1969年(昭和44年)3月31日-4月5日 文芸春秋画廊にて甲斐仁代遺作展開催 1976年(昭和51年)9月6日-9月12日 岡崎市美術館にて甲斐仁代遺作展開催
10/03
売ります

甲斐仁代(甲斐仁代) 絵画レプリカ 朝顔 新品未使用品 ギャラリー甲斐仁代制作

4,800円 流山市 鰭ケ崎
甲斐仁代 朝顔 レプリカ ギャラリー甲斐仁代制作 新品未使用品 25000円で販売されていたものです。 作品サイズ 13.5cm×13.5cm 額サイズ 27.5cm×27.5cm×2cm 作品は終始純粋な芸術観に貫かれ、豊潤な色彩感覚とデリケートで風格ある画面が特徴的です。 甲斐仁代とは 1902年佐賀で生まれ、1963年(昭和38年)7月28日に61歳の若さで永眠。 最後の最後まで、作品を制作するため病室に画材セットを持ち込んだが病魔には打ち勝てず、無念な最期であった。 大正11年女子美術学校西洋画科を卒業して翌年二科会に初入選した。以後二科会には毎年出品をつづけ、また婦人洋画協会の創立に参加するなど活躍した。岡田三郎助の教えを受け、牧野虎雄の旺玄社に属するなどの時期もあったが、後一水会に出品し戦後会員に推された。 日本洋画界において女流画家の地位向上に尽力し、婦人画家協会の創設(後の女流画家協会)にも関わった。 東京・練馬のアトリエに多くの作品を遺して逝き、友人・親友・支援者でもある石橋正二郎・冨久ご夫妻(ブリヂストン創業者)のお力で、甲斐仁代の遺作展を開催いたしました。 1963年(昭和38年)9月 一水会展にて遺作特別陳列 1964年(昭和39年)6月 女流画家協会展にて遺作特別陳列 1964年(昭和39年)10月1日-7日 日動サロンにて第一回甲斐仁代遺作展開催 1969年(昭和44年)3月31日-4月5日 文芸春秋画廊にて甲斐仁代遺作展開催 1976年(昭和51年)9月6日-9月12日 岡崎市美術館にて甲斐仁代遺作展開催
10/03
売ります

甲斐仁代(カイヒトヨ) 絵画レプリカ 静物(カボチャ) 新品未使用品 ギャラリー甲斐仁代制作 日本の草分け的女流画家

5,500円 流山市 鰭ケ崎
甲斐仁代 静物 レプリカ ギャラリー甲斐仁代制作 新品未使用品 25000円で販売されていたものです。 作品サイズ 13.5cm×13.5cm 額サイズ 27.5cm×27.5cm×2cm 作品は終始純粋な芸術観に貫かれ、豊潤な色彩感覚とデリケートで風格ある画面が特徴的です。 甲斐仁代とは 1902年佐賀で生まれ、1963年(昭和38年)7月28日に61歳の若さで永眠。 最後の最後まで、作品を制作するため病室に画材セットを持ち込んだが病魔には打ち勝てず、無念な最期であった。 大正11年女子美術学校西洋画科を卒業して翌年二科会に初入選した。以後二科会には毎年出品をつづけ、また婦人洋画協会の創立に参加するなど活躍した。岡田三郎助の教えを受け、牧野虎雄の旺玄社に属するなどの時期もあったが、後一水会に出品し戦後会員に推された。 日本洋画界において女流画家の地位向上に尽力し、婦人画家協会の創設(後の女流画家協会)にも関わった。 東京・練馬のアトリエに多くの作品を遺して逝き、友人・親友・支援者でもある石橋正二郎・冨久ご夫妻(ブリヂストン創業者)のお力で、甲斐仁代の遺作展を開催いたしました。 1963年(昭和38年)9月 一水会展にて遺作特別陳列 1964年(昭和39年)6月 女流画家協会展にて遺作特別陳列 1964年(昭和39年)10月1日-7日 日動サロンにて第一回甲斐仁代遺作展開催 1969年(昭和44年)3月31日-4月5日 文芸春秋画廊にて甲斐仁代遺作展開催 1976年(昭和51年)9月6日-9月12日 岡崎市美術館にて甲斐仁代遺作展開催
10/03
売ります

甲斐仁代(カイヒトヨ) 絵画 静物(果物) レプリカ 新品未使用品 ギャラリー甲斐仁代制作

4,800円 流山市 鰭ケ崎
甲斐仁代 静物 レプリカ ギャラリー甲斐仁代制作 新品未使用品 25000円で販売されていたものです。 作品サイズ 14.5cm×9.5cm 額サイズ 31.5cm×26cm×3cm 作品は終始純粋な芸術観に貫かれ、豊潤な色彩感覚とデリケートで風格ある画面が特徴的です。 甲斐仁代とは 1902年佐賀で生まれ、1963年(昭和38年)7月28日に61歳の若さで永眠。 最後の最後まで、作品を制作するため病室に画材セットを持ち込んだが病魔には打ち勝てず、無念な最期であった。 大正11年女子美術学校西洋画科を卒業して翌年二科会に初入選した。以後二科会には毎年出品をつづけ、また婦人洋画協会の創立に参加するなど活躍した。岡田三郎助の教えを受け、牧野虎雄の旺玄社に属するなどの時期もあったが、後一水会に出品し戦後会員に推された。 日本洋画界において女流画家の地位向上に尽力し、婦人画家協会の創設(後の女流画家協会)にも関わった。 東京・練馬のアトリエに多くの作品を遺して逝き、友人・親友・支援者でもある石橋正二郎・冨久ご夫妻(ブリヂストン創業者)のお力で、甲斐仁代の遺作展を開催いたしました。 1963年(昭和38年)9月 一水会展にて遺作特別陳列 1964年(昭和39年)6月 女流画家協会展にて遺作特別陳列 1964年(昭和39年)10月1日-7日 日動サロンにて第一回甲斐仁代遺作展開催 1969年(昭和44年)3月31日-4月5日 文芸春秋画廊にて甲斐仁代遺作展開催 1976年(昭和51年)9月6日-9月12日 岡崎市美術館にて甲斐仁代遺作展開催
10/02
売ります

甲斐仁代(カイヒトヨ) 絵画 静物(リンゴ) レプリカ 新品未使用品 ギャラリー甲斐仁代制作

4,800円 流山市 鰭ケ崎
甲斐仁代 静物 レプリカ ギャラリー甲斐仁代制作 新品未使用品 25000円で販売されていたものです。 作品サイズ 14.5cm×9.5cm 額サイズ 28.5cm×23.5cm×3cm 作品は終始純粋な芸術観に貫かれ、豊潤な色彩感覚とデリケートで風格ある画面が特徴的です。 甲斐仁代とは 1902年佐賀で生まれ、1963年(昭和38年)7月28日に61歳の若さで永眠。 最後の最後まで、作品を制作するため病室に画材セットを持ち込んだが病魔には打ち勝 てず、無念な最期であった。 大正11年女子美術学校西洋画科を卒業して翌年二科会に初入選した。以後二科会には毎年出品をつづけ、また婦人洋画協会の創立に参加するなど活躍した。岡田三郎助の教えを受け、牧野虎雄の旺玄社に属するなどの時期もあったが、後一水会に出品し戦後会員に推された。 日本洋画界において女流画家の地位向上に尽力し、婦人画家協会の創設(後の女流画家協会)にも関わった。 東京・練馬のアトリエに多くの作品を遺して逝き、友人・親友・支援者でもある石橋正二郎・冨久ご夫妻(ブリヂストン創業者)のお力で、甲斐仁代の遺作展を開催いたしました。 1963年(昭和38年)9月 一水会展にて遺作特別陳列 1964年(昭和39年)6月 女流画家協会展にて遺作特別陳列 1964年(昭和39年)10月1日-7日 日動サロンにて第一回甲斐仁代遺作展開催 1969年(昭和44年)3月31日-4月5日 文芸春秋画廊にて甲斐仁代遺作展開催 1976年(昭和51年)9月6日-9月12日 岡崎市美術館にて甲斐仁代遺作展開催
10/02
売ります

甲斐仁代(カイヒトヨ) 絵画 静物 レプリカ 新品未使用品 ギャラリー甲斐仁代制作

4,800円 流山市 鰭ケ崎
甲斐仁代 静物 レプリカ ギャラリー甲斐仁代制作 新品未使用品 25000円で販売されていたものです。 作品サイズ 22.5cm×14.5cm 額サイズ 30.5cm×27.5cm×3cm 作品は終始純粋な芸術観に貫かれ、豊潤な色彩感覚とデリケートで風格ある画面が特徴的です。 甲斐仁代とは 1902年佐賀で生まれ、1963年(昭和38年)7月28日に61歳の若さで永眠。 最後の最後まで、作品を制作するため病室に画材セットを持ち込んだが病魔には打ち勝てず、無念な最期であった。 大正11年女子美術学校西洋画科を卒業して翌年二科会に初入選した。以後二科会には毎年出品をつづけ、また婦人洋画協会の創立に参加するなど活躍した。岡田三郎助の教えを受け、牧野虎雄の旺玄社に属するなどの時期もあったが、後一水会に出品し戦後会員に推された。 日本洋画界において女流画家の地位向上に尽力し、婦人画家協会の創設(後の女流画家協会)にも関わった。 東京・練馬のアトリエに多くの作品を遺して逝き、友人・親友・支援者でもある石橋正二郎・冨久ご夫妻(ブリヂストン創業者)のお力で、甲斐仁代の遺作展を開催いたしました。 1963年(昭和38年)9月 一水会展にて遺作特別陳列 1964年(昭和39年)6月 女流画家協会展にて遺作特別陳列 1964年(昭和39年)10月1日-7日 日動サロンにて第一回甲斐仁代遺作展開催 1969年(昭和44年)3月31日-4月5日 文芸春秋画廊にて甲斐仁代遺作展開催 1976年(昭和51年)9月6日-9月12日 岡崎市美術館にて甲斐仁代遺作展開催
10/02
売ります

甲斐仁代(カイヒトヨ) 静物 絵画 レプリカ 新品未使用品 ギャラリー甲斐仁代製作

4,800円 流山市 鰭ケ崎
甲斐仁代 静物 レプリカ ギャラリー甲斐仁代制作 新品未使用品 25000円で販売されていたものです。 作品サイズ 20.5cm×15cm 額サイズ 30.5cm×27.5cm×3cm 作品は終始純粋な芸術観に貫かれ、豊潤な色彩感覚とデリケートで風格ある画面が特徴的です。 甲斐仁代とは 1902年佐賀で生まれ、1963年(昭和38年)7月28日に61歳の若さで永眠。 最後の最後まで、作品を制作するため病室に画材セットを持ち込んだが病魔には打ち勝てず、無念な最期であった。 大正11年女子美術学校西洋画科を卒業して翌年二科会に初入選した。以後二科会には毎年出品をつづけ、また婦人洋画協会の創立に参加するなど活躍した。岡田三郎助の教えを受け、牧野虎雄の旺玄社に属するなどの時期もあったが、後一水会に出品し戦後会員に推された。 日本洋画界において女流画家の地位向上に尽力し、婦人画家協会の創設(後の女流画家協会)にも関わった。 東京・練馬のアトリエに多くの作品を遺して逝き、友人・親友・支援者でもある石橋正二郎・冨久ご夫妻(ブリヂストン創業者)のお力で、甲斐仁代の遺作展を開催いたしました。 1963年(昭和38年)9月 一水会展にて遺作特別陳列 1964年(昭和39年)6月 女流画家協会展にて遺作特別陳列 1964年(昭和39年)10月1日-7日 日動サロンにて第一回甲斐仁代遺作展開催 1969年(昭和44年)3月31日-4月5日 文芸春秋画廊にて甲斐仁代遺作展開催 1976年(昭和51年)9月6日-9月12日 岡崎市美術館にて甲斐仁代遺作展開催
10/02
売ります

甲斐仁代(カイヒトヨ) 油彩 静物 額無し 真作保証(深沢紅子証明シール付) 2号 1960年作成 一水会員 希少価値 大幅値下げ

18,000円 流山市 鰭ケ崎
真作保証いたします。 深沢紅子真作保証シール付き ギャラリー甲斐仁代保証シール付き 甲斐仁代作品 油彩 静物 1960年作成 2号 作品サイズ22.5×14.5Cm 額無し サイン無し 評価額(2021年美術年鑑) 700.000円 60年前の作品の為 汚れ、傷はあります。 今回大幅値下げ 作品は終始純粋な芸術観に貫かれ、豊潤な色彩感覚とデリケートで風格ある画面に魅力があります。 現在本作品は 茨城県常陸大宮市のギャラリー甲斐仁代にて展示中です。 今回はギャラリー甲斐仁代様のご協力による特別価格による販売です。 本作品等の不明な点がありましたら茨城県常陸大宮市のギャラリー甲斐仁代にお問い合わせ下さい。 甲斐仁代の 作品は亡くなってから40年位あまり市中にはほとんど出回っておらず 希少価値があります。 ギャラリー甲斐仁代で保存されている作品の他は 国立近代美術館に3点展示されております。 ブリヂストン美術館にも 400点位保存されておりこれらは今後市中に出回ることわありません。 甲斐仁代とは 1902年佐賀で生まれ、1963年(昭和38年)7月28日に61歳の若さで永眠。 最後の最後まで、作品を制作するため病室に画材セットを持ち込んだが病魔には打ち勝てず、無念な最期であった。 大正11年女子美術学校西洋画科を卒業して翌年二科会に初入選した。以後二科会には毎年出品をつづけ、また婦人洋画協会の創立に参加するなど活躍した。岡田三郎助の教えを受け、牧野虎雄の旺玄社に属するなどの時期もあったが、後一水会に出品し戦後会員に推された。 日本洋画界において女流画家の地位向上に尽力し、婦人画家協会の創設(後の女流画家協会)にも関わった。 東京・練馬のアトリエに多くの作品を遺して逝き、友人・親友・支援者でもある石橋正二郎・冨久ご夫妻(ブリヂストン創業者)のお力で、甲斐仁代の遺作展を開催しました。 1963年(昭和38年)9月一水会展にて遺作特別陳列 1964年(昭和39年)6月女流画家協会展にて遺作特別陳列 1964年(昭和39年)10月1日-7日日動サロンにて第一回甲斐仁代遺作展開催 1969年(昭和44年)3月31日-4月5日文芸春秋画廊にて甲斐仁代遺作展開催 1976年(昭和51年)9月6日-9月12日岡崎市美術館にて甲斐仁代遺作展開催
02/24
売ります

甲斐仁代(カイヒトヨ) 油彩 静物 額無し 真作保証 2号変 1961年作成 一水会員 希少価値 大幅値下げ

15,000円 流山市 鰭ケ崎
真作保証いたします。 深沢紅子真作保証シール付き ギャラリー甲斐仁代保証シール付き 甲斐仁代作品 油彩 静物 1961年作成 2号変 作品サイズ23×9Cm 額無し サイン無し 評価額(2021年美術年鑑) 700.000円 60年前の作品ですので 汚れ、傷は有ります。 今回大幅値下げ 作品は終始純粋な芸術観に貫かれ、豊潤な色彩感覚とデリケートで風格ある画面に魅力があります。 今回はギャラリー甲斐仁代様のご協力による特別価格による販売です。 本作品等の不明な点がありましたら茨城県常陸大宮市のギャラリー甲斐仁代にお問い合わせ下さい。 甲斐仁代の 作品は亡くなってから40年位あまり市中にはほとんど出回っておらず 希少価値があります。 ギャラリー甲斐仁代で保存されている作品の他は 国立近代美術館に3点展示されております。 ブリヂストン美術館にも 400点位保存されておりこれらは今後市中に出回ることわありません。 甲斐仁代とは 1902年佐賀で生まれ、1963年(昭和38年)7月28日に61歳の若さで永眠。 最後の最後まで、作品を制作するため病室に画材セットを持ち込んだが病魔には打ち勝てず、無念な最期であった。 大正11年女子美術学校西洋画科を卒業して翌年二科会に初入選した。以後二科会には毎年出品をつづけ、また婦人洋画協会の創立に参加するなど活躍した。岡田三郎助の教えを受け、牧野虎雄の旺玄社に属するなどの時期もあったが、後一水会に出品し戦後会員に推された。 日本洋画界において女流画家の地位向上に尽力し、婦人画家協会の創設(後の女流画家協会)にも関わった。 東京・練馬のアトリエに多くの作品を遺して逝き、友人・親友・支援者でもある石橋正二郎・冨久ご夫妻(ブリヂストン創業者)のお力で、甲斐仁代の遺作展を開催しました。 1963年(昭和38年)9月一水会展にて遺作特別陳列 1964年(昭和39年)6月女流画家協会展にて遺作特別陳列 1964年(昭和39年)10月1日-7日日動サロンにて第一回甲斐仁代遺作展開催 1969年(昭和44年)3月31日-4月5日文芸春秋画廊にて甲斐仁代遺作展開催 1976年(昭和51年)9月6日-9月12日岡崎市美術館にて甲斐仁代遺作展開催
02/24
売ります

甲斐仁代(カイヒトヨ) 花 油彩 額付 1950年制作 10号 真作保証 深沢紅子保証シール付 一水会会員 希少価値 大幅値下げ

60,000円 流山市 鰭ケ崎
真作保証いたします。 深沢紅子保証シール付き ギャラリー甲斐仁代保証シール付き 甲斐仁代作品 油彩 花 1950年作成 10号 作品サイズ41cm×53cm 額サイズ55cm×67cm サイン無し 評価額(美術年鑑)3,500,000円 今回大幅値下げ 作品は終始純粋な芸術観に貫かれ、豊潤な色彩感覚とデリケートで風格ある画面に魅力があります。 現在本作品は 茨城県常陸大宮市のギャラリー甲斐仁代にて展示中です。 今回はギャラリー甲斐仁代様のご協力による特別価格による販売です。 本作品等の不明な点がありましたら茨城県常陸大宮市のギャラリー甲斐仁代にお問い合わせ下さい。 甲斐仁代の 作品は亡くなってから40年位あまり市中にはほとんど出回っておらず 希少価値があります。 ギャラリー甲斐仁代で保存されている作品の他は 国立近代美術館に3点展示されております。 ブリヂストン美術館にも 400点位保存されておりこれらは今後市中に出回ることわありません。 甲斐仁代とは 1902年佐賀で生まれ、1963年(昭和38年)7月28日に61歳の若さで永眠。 最後の最後まで、作品を制作するため病室に画材セットを持ち込んだが病魔には打ち勝てず、無念な最期であった。 大正11年女子美術学校西洋画科を卒業して翌年二科会に初入選した。以後二科会には毎年出品をつづけ、また婦人洋画協会の創立に参加するなど活躍した。岡田三郎助の教えを受け、牧野虎雄の旺玄社に属するなどの時期もあったが、後一水会に出品し戦後会員に推された。 日本洋画界において女流画家の地位向上に尽力し、婦人画家協会の創設(後の女流画家協会)にも関わった。 東京・練馬のアトリエに多くの作品を遺して逝き、友人・親友・支援者でもある石橋正二郎・冨久ご夫妻(ブリヂストン創業者)のお力で、甲斐仁代の遺作展を開催しました。 1963年(昭和38年)9月一水会展にて遺作特別陳列 1964年(昭和39年)6月女流画家協会展にて遺作特別陳列 1964年(昭和39年)10月1日-7日日動サロンにて第一回甲斐仁代遺作展開催 1969年(昭和44年)3月31日-4月5日文芸春秋画廊にて甲斐仁代遺作展開催 1976年(昭和51年)9月6日-9月12日岡崎市美術館にて甲斐仁代遺作展開催
01/25

全32件中 1-10件表示