知ってるつもり? 幕末の大和(奈良県)の 大騒ぎ! 幕末の頃、朝廷内は尊王攘夷派と公武合体派が争っていました。文久3年(1863年)8月13日に朝廷は大和行幸の詔を出しました。今でいう橿原市の神武天皇陵に参拝し、孝明天皇が自ら攘夷を行うことを誓うのが目的です。この動きに呼応して大和では天誅組が蜂起、8月17日には五条の代官所を襲撃します。天誅組の勢力は当初1000人以上であったと言います。 この大和行幸に反対する公武合体派は8月18日に政変を起こし、尊王攘夷派の公家である三条実美らを追放します。三条ら七卿は長州に落ち延びます。その政変で天誅組は暴徒とされ、9月24日の東吉野村での鷲家口での戦いを最後に戦闘を終えました。 ところが意外なことに当時の西本願寺から大和の浄土真宗のお寺に対し、大和行幸をサポートするようにとの指示がなされたのです。当時の西本願寺は尊王攘夷派、また一方の東本願寺は公武合体派であったと言います。 西本願寺は1591年に関白豊臣秀吉から京都で土地の寄進を受けて建立。東本願寺は1602年に将軍徳川家康から土地をもらって建立。東本願寺が公武合体派だったのは260年前にもらった徳川からの恩義のためでしょうかね。 文久の大和行幸は実現しませんでしたが、代が変わって明治天皇が明治11年に神武天皇陵参拝を果たされます。この時にはかつて追放された三条実美は太政大臣とし随行します。橿原での宿泊は今井町の新堂屋であったと言います。 今回のセミナーは、奈良県の田原本御坊からは発見された文久の大和行幸に関する西本願寺の指示書を元にして、幕末の奈良県さらには日本の歴史を見直すという試みです。 趣旨: 文化庁の地域文化を見直し、継承するための補助事業です。今回は市民が歴史史料(古文書)の面白さと価値を理解し、活用しつつ将来に伝えて行く社会を作ることが目的です。 日時・場所:(2回とも同じ内容です) 1回目: 令和3年1月16日(土) 午後2時~午後4時 高田御坊 如意山 専立寺(奈良県大和高田市内本町10-19) 2回目: 令和3年1月17日(日) 午後2時~午後4時 田原本御坊 松慶山 浄照寺(奈良県磯城郡田原本町茶町584) 講師: 岡村喜史(おかむらよしじ)先生 1962年生まれ。大和高田市出身。 龍谷大学大学院国史学専攻博士課程単位取得。 龍谷大学准教授を経て、現在は本願寺史料研究所研究員、武蔵野大学講師。 専門分野は、真宗史・日本中近世史。 主な著書は、『日本史のなかの親鸞聖人』『西本願寺への誘い』など。 お申込み:無料です 大和まちなみ文化塾まで e-mail:sakamoto@alum.mit.edu 携帯:090-6486-9555
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