茨城県 笠間焼き 大津晃窯 深い赤色の陶器製の丸型丼、滑らかな底部仕上げ。 - 色: 深い赤色 - 形状: 丸型 - 素材: 陶器 - 底部: 滑らかな仕上げ ご覧いただきありがとうございます。 笠間焼き 大津晃窯 陶芸 食器 いただきましたが、使いませんでしたので、 新品・未使用の品になります。 器は未使用ですが、外箱は素人保存により完璧な状態でありませんので、ご了承ください。 https://www.ohtsukouyou.com/item/ 笠間焼きの歴史 阿武隈山脈に囲まれた笠間は、「関東の小京都」といわれるほど、四季の変化にとんだ美しい田園都市です。ここに二百有余年前から、営々といとなまれてきた「陶」の芸が笠間焼きです。 江戸時代の安永年間(1772)に箱田村の久野半右衛門が、信楽の陶工・長右衛門の指導で陶器を焼いたのが始まりといわれています。明治には陶器商人だった岐阜生まれの田中友三郎が笠間に窯を持ち、東京をはじめ関東、東北などに販路を拡大し、笠間の名を広めました。 当時は、水がめ、すり鉢など日用雑器を登窯で焼いていましたが、ライフスタイルの変化に伴い、現在は、花器、茶器、そして食器等の生活用品から、飾り皿、壺、オブジェ等の美術工芸品に至るまで、幅広く焼かれるようになりました。その伝統が認められて、平成5年には国から伝統的工芸品の指定を受けました。 笠間焼きの特徴としては、笠間粘土の持つ渋さと、手作りの温か味が良く調和されたところにあります。 大津晃窯の歴史 【大津晃窯歴代】 初代創業者 江戸末期 宇津新助 二代目 大津三吉 三代目 大津晃男(大正3年生まれ) 四代目 大津廣司(昭和22年生まれ) 五代目 大津晃一(昭和49年生まれ) 150年余りの伝統ある大津晃窯。四代目廣司は語る。 「陶器は姿だけでなく、焼き方や釉薬でも多様に変化します。笠間はデザインばかりでなく色の面でも不足していましたから。でも釉薬はすぐ結果が出るものではありません。自分だけの色を発見するまで何百点も何千点も焼き、またそれを安定して再現できるようになるまでが大変です。」 「この色はどうして出せるんだろうと、見る人が不思議に思ってくれるとうれしいですね。誰も見たことがない新しいものを生み出したいというのが願いです。」
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