昭和50年半ばから当時の自動車大好きの若者に人気だった「ホリデーオート」となります。当初は、月一回の発刊から雑誌の大人気企画の「街道レーサー」人気で、途中から月二回発刊へ変わっていきました。 「街道レーサー」と言われるカテゴリーは、 この雑誌が、定着させたのでは、ないでしょうか? 週刊と別冊合わせ10冊となります。昭和57年発刊の雑誌ですので、自宅押入で保管していましたが、年月の経過で、表紙破れ有る物もありますので、その辺を考慮し問い合わせ等御願いします。表紙破れは、下段右から2冊目です。 ただ内部のページは、汚れ破れなど有りません。 掲載写真枚数の関係で、代表的な写真を掲載しています。表紙モデルで、まず目に留まるのは、デビュー間もない「早見優ちゃん」です。 いや~当時も今も可愛い! あと最初で、最後の表紙モデルは、下段一番右は、「ノーランズ」のボーカルのコーリンです。! ついでに当時の記事を読んでいると下段左から2冊目の表紙モデルは、なななんと「アラベスク」の真ん中の可愛い子ちゃんの「サンドラ」でした。当時自分より2才下でしたが、爽やかなお色気で、年下と思えませんでしたね。 洋楽に目覚めたきっかけが、「アラベスク」「ABBA」「ジグソー」でした。 お決まりの大人気企画の「oh! my 街道レーサー」と当時のチューニングパーツなど広告満載で、当時のチューニングレベルが見て取れます。初期の頃L型は、お決まりの「ソレ・タコ・デュアル」ですよね? 当時のL 型チューニングショップと言えば、関西では、柿本レーシングが、有名でした。 大口径のマフラーに「柿本改」ロゴ格好良かったです。 その後、チューニングは、進化し、L 型ヘッドを換装し、L 型DOHC 確か、OS 技研?から登場した記憶があります。当時の価値で、200万円近かったかと記憶しています。今の物価指数で、350万円位でしょうか? トヨタ2TG は、通称「イナゴ(1750CC)チューン」ですね! ホンダは、当時「シビック」で、鈴鹿に参戦し「トムス・クワハラ」スターレット「東名」サニーと争い市販車では、1200RS . 1500RSL など「無限」で、チューニングし強力なタックインで、コーナーは、なかなかな物でした。近所のスタンドで、1200RS と思われる手を入れた車体を記憶していますが、 ホンダエンジンに「タコ足・スポーツマフラー」で、排気を抜くと2輪に近い排気音していました。 当時流行ったアルミホイール「弥生」も広告をバンバン掲載しバンバン売れていました。 若かりし頃の「星野」「中島」が、チューニングカーに試乗しそれなりにドラテクを述べていましたね。「星野」ブランドの「インパル」も当時広告を打ってました。 「弥生」のステッカーチューニングも流行りました。自分の地元では、東洋工業のベンツマスクの車高短ルーチェ複数台が、「弥生」ステッカーチューニングで、誇らしげに走ってましたよ。当時「oh! my 街道レーサー」に掲載された方など昭和懐古しませんか? 掲載された「街道レーサー」記事には、匿名希望以外は、大雑把な住所と街道レーサーの所有者の名前が、堂々と紹介されています。当時のお姉ちゃんは、一緒に並んで、紹介されています。 お姉ちゃんもサメブル、セリカLBなどをベタベタ仕様で、アクセルベタ踏み暴走ですよ。 また当時から現在迄で、現役で活躍されているチューニングショップは、ロータリーの雄「雨宮」ぐらいでは無いでしょうか? 息の長いのは、自動車好きから支持されているからでしょうね? 街道レーサーでは無く、関西暴走族の「230・330」セド・グロ改造車の特集が、掲載して有ったので差し替えました。 「シルビア・ガゼール」街道レーサーの写真に変更しました。一応5名乗車ですが、後部座席は、小学生位しか座れないスペースの狭さでしたよ。 基本近場手渡し希望ですが、思い入れ等有る方からの問い合わせ等が、有れば、県外発送対応します。別冊と週刊合わせ計10冊まとめて御願いします。
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